米国人どぅやみせいえしが、日本文学研究者やるドナルドキーン主(すう)ぬ沖縄(うちなあ)んかい、めんそうちょおいびいたん。
 我(わん)ねえ、高校時分や、太宰治ましさあに、いいくる読(ゆ)どおたる事(くとぅ)いんあてぃ、太宰ぬ評論ぬんそおみせえたるキーン主や、太宰治研究者どぅやるんでぃち、勘違(かんちげ)えそおいびいたん。
 キーン主ぬ講演や、かあま早(ふぇえ)くに、沖縄ぬまあがなぬ会場於(をぅ)とおてぃ、聴(ち)ちゃる事ぬあいびいしが、沖縄戦(いくさ)ぬばすに、通事(とぅうじ)とぅさあに、沖縄んかい、上陸そおたんでぃゆる話や、我勉強不足んあやあに、今(なま)ぬばすどぅ聞(ち)ちゃびたる。
 テレビぬニュース番組んじ見(ん)ちゃるうっぴどぅやいびいしが、「沖縄ぬ人んちゃあ、助(たし)きいがる来(ち)ゃるむぬ、死なんてぃん済(し)むる人(ちゅ)んちゃあが、うさきいなんでぃん、けえ亡(ま)あち」んでぃち、述懐(しゅくぇえ)そおみせえいびいたん。
 あんし、彼が平和記念公園ぬ平和ぬ礎於(をぅ)とおてぃ、戦没者ぬ名(なあ)、見(ぬ)うる姿(しがた)あ、肝(ちむ)ぬ思(うみ)いがやら、菩薩ぬ如(ぐとぅ)に見(み)いやびいたん。

【語句】
米国人どぅやみせえいびいしが=米国人でありながら。非丁寧・非目上文は「~どぅやしが」。「どぅ」は前語を強調する助詞で、次にくる用言は通常は連体形で結びますが、接続文となるなる場合はその限りではありません。なお、原文は対目上文なのですが、その訳語となる日本文はくどくなってしまいますので、通常の丁寧文にしました。
日本文学研究者やるドナルドキーン主ぬ=日本文学研究者であるドナルドキーン氏が。「主」は「さん」ぐらの意味。私の父の代までは、友達同士で「~主」と呼び合っていましたが、私の代からは、うちなあぐち世代であってもこの「主」は使用しなくなりました。
沖縄んかい、めんそうちょおいびいたん=沖縄にいらっしゃっていました。非丁寧文は「~来ょおたん」。「来ゅうん」は「来うん」と表記すべきではないかとのご指摘がありますが、それでもかまわないと思います。ただ、組踊脚本では「来ゆん」「来ん」の二通りありますが、前者使用が卓越していると思われます。さらには、「来ゅうん」は「取(とぅ)ゆん」の「とぅ」が開音「と」の合音として、固定音であるのに対し、「ちゃん」「ちょおん」「ちぇえん」などと元々、「来」の外にあった音があたかも「拗音化」している風になっており、表面的には同じ拗音のように見えますが、その違いは明らかです。
我ねえ、高校時分や=私は高校時代は、
太宰治ましさあに=太宰治が好きで、
いいくる読どおたる事いんあてぃ=よく読んでいたこともあり、
太宰ぬ評論ぬんそおみせえたるキーン主や=太宰の評論をしていたキーン氏は。非丁寧・非目上文は「~評論ぬんそおたる」。
太宰治研究者どぅやるんでぃち=太宰治研究者なのだろうと。「どぅ」は前語を強調する助詞で、次にくる用言は通常は連体形で結びますが、ここで接続文になっていますのでそのかぎりではありません。
勘違えそおいびいたん=勘違いしていました。非丁寧文は「勘違えそおたん」。
キーン主ぬ講演や、かあま早くに=キーン氏の講演は、ずっと以前に、
沖縄ぬまあがなぬ会場於とおてぃ=沖縄のどこかの会場で、
聴ちゃる事ぬあいびいしが=聴いたことがありますが。非丁寧文は「~ぬあいたしが」。
沖縄戦ぬばすに、通事とぅさあに=沖縄戦のときに、通訳として、
沖縄んかい、上陸そおたんでぃゆる話や=沖縄に上陸していたという話は、
我勉強不足んあやあに=私の勉強不足もあって、
今ぬばすどぅ聞ちゃびたる=今しか聞き知りません。非丁寧文は「~聞ちゃる」。「どぅ」は前語を強調する助詞で、次にくる用言「聞ちゃびたん」は連体形「聞ちゃびたる」で結ぶ。
テレビぬニュース番組んじ=テレビのニュース番組で
見ちゃるうっぴどぅやいびいしが=見ただけなのですが。非丁寧文は「~どぅやしが」。「どぅ」については既述。
沖縄ぬ人んちゃあ、助きいがる来ゃるむぬ=沖縄人を助けにきたのに。「沖縄(おきなわ)」は「うちなあ」の開音表記である「おきなわ」(「おもろさうし」で使用されている)がそのまま標準語として用いられているものです。
死なんてぃん済むる人んちゃあが=死ななくてもよい人々が
うさきいなんでぃん、けえ亡あちんでぃち=これほど多くの人々が亡くなってしまってと、
述懐そおみせえいびいたん=述懐しておられました。非丁寧・非目上文は「述懐そおたん」。
あんし、彼が平和記念公園ぬ平和ぬ礎於とおてぃ=そして、彼が平和記念公園の平和の礎で
戦没者ぬ名、見うる姿あ=戦没者の名前を眺める姿は、
肝ぬ思いがやら=気のせいか、
菩薩ぬ如に見いやびいたん=菩薩のようにみえました。非丁寧文は「~見ゆたん」。