うちなあぐち日記

うちなあぐちえ 聴ち美らさ 語い美らさ 書ち美らさ

 組踊(くみをぅどぅい)『大川敵討(ううかあてぃちうち)』ぬ後世(ぬちぬゆう)んかい呉(くぃ)たるむのお、芝居(しばい、しばや)、民謡(ふぁうた)、琉歌(るうか)びけのおいびらん。
 他(ふか)ぬ組踊や、大概(てえげえ)や、八八八六調んでえぬ韻文(うた)ぬ形(かた)なかい作(つく)い書(か)かとっとおるむぬやいびいしが、『大川敵討』ぬばあや、泊(とぅまい)ぬ口(くち)ねえし、いいくる叫(あ)びい言葉(くとぅば)んあいびいん。ただ、あぬうっぴえあいびらん。んずみてぃ、長(なげ)えさある口調(あびいよう)やいびいくとぅ、実(じゅん)に、書(か)ち言葉(くとぅば)ぬしい様(よう)ぬ手本(てぃふん)とぅないびいん。
 我(わあ)、うちなあぐちぬ文言(むんぐん)ぬ肝加勢(ちむがしい)とぅんなとおいびいん。
 ただ、伊波普猷や、うんな泊ぬ口え、うり迄(までぃ)ぬ重(んぶ)らあさる組踊ぬ形(かた)とぅ、変(か)わとおんでぃち、自(どぅ)ぬ書ちぇえる書物(しゅむち)『琉球戯曲集』んじ、「いちゃんだ叫びいどぅやる」風儀(ふうじい)し、くじい物言(むに)いそおいびいん…。
 やいびいしが、我(わん)からしいねえ、いちゃっさ、あたらさる口やいびいくとぅ。あいびらん、昔(んかし)からぬ慣(なり)り破(やん)てぃ迄(までぃ)ん、うん如(ぐとぅ)うし、書ち残(ぬく)ちゃるうぬ久手堅親雲上や、でえじな、稀(まり)ねえぬ、また難(むちか)しいっ人(ちゅ)やたんでぃ、ちくぢく、思(うむ)やびいん。

 今(なま)ぬ「書ち言葉」あ、いっそうから、「棒線うちなあぐち」けえなとおいびいしが、長音(ながうん)や母音(ぶいん)しんでぃぬ書ち言葉ぬ精魂(しょうたまし)え、継(ち)じ行(い)ち欲(ぶ)しゃいびいん。

【語句】
組踊『大川敵討』ぬ後世んかい呉たるむのお=組踊『大川敵討』が後世に貢献したのは、
芝居、民謡、琉歌びけのおいびらん=芝居、民謡、琉歌だけではありません。非丁寧文「~あらん」。
他ぬ組踊や、大概や、八八八六調んでえぬ韻文ぬ形なかい=他の組踊は概ね、八八八六調等の韻文形式で
作い書かとっとおるむぬやいびいしが=書かれているもののですが、非丁寧文「~むぬやしが」。
『大川敵討』ぬばあや、泊ぬ口ねえし=『大川敵討』の場合は、泊のセリフのように、
いいくる叫びい言葉んあいびいん=少なからず、話し口調もあります。非丁寧文「~言葉んあん」。
ただ、あぬうっぴえあいびらん=だた、(話し言葉が)あるだけではありません。非丁寧文「~あらん」。
んずみてぃ、長えさある口調やいびいくとぅ、実に=とても、長さのある語り口調ですので、非丁寧文「~やくとぅ」。
書ち言葉ぬしい様ぬ手本とぅないびいん=書き言葉のあり方の手本ともなります。非丁寧文「~なゆん」。
我、うちなあぐちぬ文言ぬ肝加勢とぅんなとおいびいん=私の沖縄語文章にも勇気を与えています。非丁寧文「~加勢とぅんなとおん」。
ただ、伊波普猷や、うんな泊ぬ口え、うり迄ぬ=ただ、伊波普猷は、そんな泊のセリフについて、それまでの
重らあさる組踊ぬ形とぅ、変わとおんでぃち=格調高い組踊の形式と違うとなどと
自ぬ書ちぇえる書物『琉球戯曲集』んじ=自著の『琉球戯曲集』で、
「いちゃんだ叫びいどぅやる」風儀し=「いたづらに語をならべているだけ」みたいに
くじい物言いそおいびいん…=酷評しています。非丁寧文「~物言いそおん」。
やいびいしが、我からしいねえ、いちゃっさ=ですが、私からすれば、どれだけ、
あたらさる口やいびいくとぅ=貴重なセリフであることでしょうか。非丁寧文「口やくとぅ~」。
あいびらん、昔からぬ慣り破てぃ迄ん、うん如うし=いいえ、昔からの習慣を破って迄、そのように、非丁寧文「あらん~」。
書ち残ちゃるうぬ久手堅親雲上や、でえじな=書き残した久手堅親雲上は、すごく、
稀ねえぬ、また難しいっ人やたんでぃ=偉い、非凡な人だったのだと、
ちくぢく、思やびいん=つくづく思います。非丁寧文「~思ゆん」。
今ぬ「書ち言葉」あ、いっそうから=今の「書き言葉」は、すっかり、
「棒線うちなあぐち」けえなとおいびいしが=「棒線うちなあぐち」になってしまっていますが、非丁寧文「~けえなとおしが」。
長音や母音しんでぃぬ書ち言葉ぬ精魂え=長音は母音でという書き言葉の精神は
継じ行ち欲しゃいびいん=受け継いでいきたいものです
 
 
 

前(めえ)からぬ続(ちじ)ち
 
 さてぃ、うんぬきてぃ来(ち)ゃる通(とぅう)い、『大川敵討』え、物語(むぬがたい)ぬ根末(にいすら)かたくじら、他(ふか)ぬ組踊(くみうどぅい)とお、んずらさ変(か)わとおいびいん。
 作(つく)い様(よう)ぬ変わとおしえ、当たい前ぬ事、作者くるぬ肝ぬ変わとおくとぅどぅやいびいる。
 作者あ、久手堅親雲上(くでぃきんぺえちん)んでぃ言(い)らっとおいびいしが、正名(しょうなあ)ん合(あ)あち、細(くま)さる事(くと)お、伝(ちて)えらてえ居(をぅ)らんあら、我(わん)ねえ分かやびらん。
 ただ、『大川敵討』からすう見(み)なゆる久手堅親雲上や、彼(あり)くるん、種変(たなが)あい者(むん)ぬんやい又人変わいい者ぬん、あらんがあたらんでぃ思(うむ)やびいん。

 うぬ事(くと)お、悪役(やなむんやく)ぬ谷茶按司(たんちゃあじ)ぬ口(くち)からすう見(み)する事ぬないびいん。ゆうさんでえ、谷茶ぬ性質え、久手堅くるぬ肝(ちむ)ぬ持(む)てぃ成(な)しぬゆ映(うつ)ちぇえるむのおあらんがあらんでぃ思やびいん。
 谷茶ぬ口なかい、「昔ふれ者の言ちゃること守て、浮世暮されめ」ぬあいびいしが、実(じち)え、久手堅くるぬ浮世んかい向(ん)かてぃ言(い)い欲(ぶ)しゃたる事おあらんがあいびいたら。

 組踊ぬ谷茶按司え、北谷出身(ちゃたんんじい)ぬ阿麻和利(あまわい)ゆモデルとぅそおる事お、①「たんちゃ」が「ちゃたん」ぬ逆言(さかい)いやる事、②代々勝連かきとおたる望月按司から何がなぬ手段なかい城ぬ主とぅなたる事、③女上戸(ゐなぐじょうぐ)やたる事から思寄(うみゆ)らりやびいしが、肝内(ちむうち)え久手堅がまる平生(ふぃいじい)、自(どぅう)が思(うみ)い又考(かんげ)とおる事、叫(あ)びらちぇえんでぃん、思(うま)ありやびいん。

 組踊ぬあひゃあやる玉城朝薫ぬ世(ゆう)から、半世紀余(あま)いん、後(あとぅ)ぬ人(ちゅ)やいびいん。久手堅ぬ思(うむ)とおたる「昔ふれ者」んでえ、玉城朝薫ぬ事、云(い)ちが居(をぅ)ら分らのおあいびいしが、いやでぃん、昔からぬ慣(な)り、風(ふう)んかい肝ふぃじえ居(をぅ)らんがあたらん分かやびらん。

 終(う)わい

【語句】
前からぬ続ち=前回からのつづき。 
さてぃ、うんぬきてぃ来ゃる通い=さて、述べてきたように、非敬語「~言ちちゃる通い」。
『大川敵討』え、物語ぬ根末かたくじら=『大川敵討』は、物語の展開はじめ、
他ぬ組踊とお、んずらさ変わとおいびいん=他の組踊とは格段に異なっています。非丁寧文「~変わとおん」。
作い様ぬ変わとおしえ、当たい前ぬ事=作品の展開が違うのは、当然
作者くるぬ肝ぬ変わとおくとぅどぅやいびいる=作者自身の価値観が異なるからです。非丁寧文「~どぅやる」。
作者あ、久手堅親雲上んでぃ言らっとおいびいしが=作者は久手堅親雲上と言われていますが、非丁寧文「~言らっとおしが」。
正名ん合あち、細さる事お、伝えらてえ居らんあら=正式な名も含め、詳細は伝承されてないのか
我ねえ分かやびらん=私は知りません。非丁寧文「~分からん」。
ただ、『大川敵討』からすう見なゆる久手堅親雲上や=ただ『大川敵討』から垣間見える久手堅親雲上は、
彼くるん、種変あい者ぬんやい又人変わいい者ぬん=彼自身、変わり種であり、同時に非凡な人でも
あらんがあたらんでぃ思やびいん=あったろうと思われます。非丁寧文「~思ゆん」。
うぬ事お、悪役ぬ谷茶按司ぬ口から=そのことは悪役谷茶のセリフから
すう見する事ぬないびいん=垣間見ることができます。非丁寧文「~事ぬなゆん」。
ゆうさんでえ、谷茶ぬ性質え、久手堅くるぬ肝ぬ=ひょっとすると、谷茶の性格は久手堅自身の性格の
持てぃ成しぬゆ映ちぇえるむのお=ありようを映しているものでは、
あらんがあらんでぃ思やびいん=ないのかと思います。非丁寧文「~思ゆん」。
谷茶ぬ口なかい=谷茶のセリフに
「昔ふれ者の言ちゃること守て、浮世暮されめ」=「昔、バカ正直の言った事を守って浮世暮らしができるものか」
ぬあいびいしが、実え、久手堅くるぬ浮世んかい=というのがありますが、実は久手堅自身が浮世世間に、非丁寧文「ぬあしが~」。
向かてぃ言い欲しゃたる事おあらんがあいびいたら=向かって叫びたかった事なのでなかったでしょうか。非丁寧文「~事おあらんがあたら」。
組踊ぬ谷茶按司え、北谷出身ぬ阿麻和利ゆ=(表面は)組踊の谷茶按司は北谷出身の阿麻和利を
モデルとぅそおる事お=モデルとしていることは
①「たんちゃ」が「ちゃたん」ぬ逆言いやる事=①「たんちゃ」が「ちゃたん」を逆に言ったものであること、
②代々勝連かきとおたる望月按司から=代々、勝連を支配していた望月按司から
何がなぬ手段なかい城ぬ主とぅなたる事=何らかの手段で勝連城の主になった事、
女上戸やたる事から思寄らりやびいしが=女好きであったことから想像できますが、非丁寧文「~思寄らりいしが」。
彼が肝内え久手堅がまる平生、自が思い又考とおる事=中身(こころ)は久手堅が普段自分が思い考えている事を
叫びらちぇえんでぃん、思ありやびいん=叫ばしているのだろうと、思われます。非丁寧文「~思ゆん」。
組踊ぬあひゃあやる玉城朝薫ぬ世から=(久手堅は)組踊の創設者であった玉城朝薫時代から
半世紀余いん、後ぬ人やいびいん=半世紀以上も後の人です。非丁寧文「~人やん」。
久手堅ぬ思とおたる「昔ふれ者」んでえ=久手堅の中にあった「昔ふれ者」とは
玉城朝薫ぬ事ん言ち居ら分からのおあいびいしが=玉城朝薫の事を言ってるのか知りませんが、非丁寧文「~分からのおあしが」。
いやでぃん、昔からぬ慣り、風んかい=きっと、昔からのしきたり、風習(習慣)に
肝ふぃじえ居らんがあたらん分かやびらん=不満があったのかも知れません。非丁寧文「~あたらん分からん」。

おわり

前(めえ)からぬ続(ちぢ)ち。

 組踊(くみうどぅい)や芝居(しばい、しばや)とぅ変(か)わてぃ、第一幕とぅか第二幕とぅかぬ幕(まく、まあく、しまい)やぬ無(ね)えらんあい、うぬ故(ゆい)に舞台後(くさあ)ぬ絵形(いいかた)ん、通(とぅう)ち、同(い、ゆ)ぬむんやいびいん。
 やいびしいが、見物人(ちんびちにん)や、何(ぬう)ぬ不足(ふすく)ん、不勝手(ぶかってぃ)ん、思(うみ)やびらん。

 背景(ぶてえくさあ)ぬ風景(ちしち)ん、人(ちゅ)ぬ動(んじゅ)ちゅしん、諸(むる)、見物人くるが、役者(やくしゃ)ぬ台詞(くち)とぅ胴持(どぅうむ)ち形(ない)、謡(じいうてえ)達ぬ歌(うた)、三味線(さんしん)、太鼓(てえく)ぬ音(うとぅ)びけん聴(ち)ち、舞台んじ、さっとおる人ん達ぬ動(んじゅ)ち走(は)い、出(ん)じかあ入(い)りかあんでえ、思寄(うみゆ)ゆくとうぅやいびいん。やいびいとぅ、なんくる、当(あ)たい前(めえ)ぬ事(くとぅ)さあに、役者あ口上手(くちじょうじ)、地謡さあや、歌上手(うたじょうじ)ならんでえならんないびいん。

 組踊や実(じゅん)に役者ぬ台詞、地謡ぬ音楽、見物人ぬ思寄(うみゆ)い力(でえ)さあに、なゆるむぬやいびいん。

 小説(しょうしち)ん映画(いいが、かあがあうどぅい)ん、読者(ゆまあ)、観客(ちんぶちさあ)んかい想像(うみゆい)しみゆるむぬ有(あ)しがどぅ、芸術(じいじち)とぅしちぇえぬ勝(すぐ)りとおん、言(い)らっとおいびいしが、組踊や、まさしく、んずみてぃ芸術性ぬ高さる芸能(じいのう)やんでぃ言ちん、言い過(くぁ)あや、あいびらん。
 
【語句】
前からぬ続ち=前回からのづき
組踊や芝居とぅ変わてぃ=組踊は芝居と違い
第一幕とぅか第二幕とぅかぬ幕やぬ無えらんあい=第一幕とか第二幕とかの幕はないし
うぬ故に舞台後ぬ絵形ん=これに連動して、舞台の背景も
通ち、同ぬむんやいびいん=ずっと、同じです。非丁寧文「~同ぬむんやん」。
やいびしいが、見物人や、何ぬ不足ん=ですが、観客は何の不満も
不勝手ん、思やびらん=不自由も感じません。非丁寧文「~思あん」。
背景ぬ風景ん、人ぬ動ちゅしん、諸、見物人くるが=背景の風景も登場人物の動きも、すべて観客自身が
役者ぬ台詞とぅ胴持ち形、地謡達ぬ歌=役者のセリフ、身のこなし、地謡の歌、
三味線、太鼓ぬ音びけん聴ち=三味線、太鼓の音だけを聴いて
舞台んじ、さっとおる人ん達ぬ動ち走い=舞台で繰り広げらる人々の立ち回り
出じかあ入りかあんでえ、思寄くとうぅやいびいん=目まぐるしく変わる場面を想像するからです。非丁寧文「~思寄くとぅやん」。
やいびいとぅ、なんくる、当たい前ぬ事さあに=ですから、自然に、当然のように
役者あ口上手、地謡さあや、歌上手ならんでえならんないびいん=役者はセリフ上手に地謡人は歌上手にならなければならないのです。非丁寧文「やくとぅ~」、「~なたんでえならん」。
組踊や実に役者ぬ台詞、地謡ぬ音楽=組踊は実に、役者のセリフ、地謡の音楽、
見物人ぬ思寄い力さあに、なゆるむぬやいびいん=観客の想像力で成り立つものなのです。非丁寧文「~むぬやん」。
小説ん映画ん、読者、観客んかい=小説も映画も読者や観客に
想像しみゆるむぬ有しがどぅ、芸術とぅしちぇえぬ勝りとおん=想像させる部分があってこそ、芸術性が高い、
んでぃ言らっとおいびいしが、組踊や、まさしく=と言われていますが、組踊は、まさに、非丁寧文「言らっとおしが~」。
んずみてぃ芸術性ぬ高さる芸能やんでぃ言ちん=極めて、芸術性が高い芸能であると言っても、
言い過あや、あいびらん=言い過ぎではありません。非丁寧文「~あらん」。
続ちゅん=つづく

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